目次
今日のテーマは
都会から離れて
思考を止める
こんにちは、今日も暑くなりそうですね。
皆さんは、思考が止まらない時ってありませんか?
同じことばかりずっと考えてしまったり、いろいろなことを考えすぎて、頭の中がパンパンになってしまったりすることってありませんか?
そこで今日のテーマは、思考を止めるために自然の中に身を投じてみようということです。
長い人生、良いこともあれば悪いこともある。
おめでたい事と、不幸なことが同時進行するのが人生というもの。
おめでたいことは単純に喜べば良い。
そして悲しみの素は心の奥底に閉じ込めて蓋をする。
心の奥に閉じ込めた硬くて重い悲しみの塊が
抗ってジリジリと私の胸を焼きつける。
青空のもと洗い立てのシャツを大きく広げて干せば石鹸の良い香りがする。
友達とのランチは、夢の話に花が咲く。
愛犬とのお散歩で芝生の上を一緒に走れば爽快だ!
そんな何気ない日々は幸せに満ちている。
だけど蓋をしても蓋をしても私はここにいると主張してくる悲しみが心の奥底にある。
胸を締め付けるような思いが私の呼吸を浅くする。
こんな風に頭の中のもやもやから逃げ出したくて思い切って遠出することにした。
行き先は静岡県駿東郡長泉町の「クレマチスの丘」
クレマチスってご存知ない方のために画像をどうぞ。
こんなお花です。
これはほとんど白に近い薄紫色だけど存在感のあるお花です。
ちょうどお昼時に着いたので併設のレストランでランチをいただきました。
こちらで出されたお野菜は全て契約農家さんから仕入れた新鮮なものばかり。
お野菜ってこんなに甘かったの?と驚くほど野菜そのものの旨みが噛むほどに味わい深く口いっぱいに広がります。
この優しい味に胃袋から癒された〜という感じです。
言い忘れましたが、ここに到着する前に義理の両親が眠るお墓をお参りしてきました。
両親は三島市の墓地に眠っています。
東京の墓地はなかなか抽選で当たらないという事情もあって心苦しいのですが、とりあえずここで、、、。
でも真正面に富士山がそびえ立ち、とっても景色の良い場所だからきっと両親は気に入ってくれていると思います。
思えば頭の中がパンパンの私をここに呼んでくれたのは両親かもしれません。
3月のお彼岸は忙しくてお参りできなかったのですが、突然「クレマチスの丘」に行こうと閃いたのは、義母の命日を数日後に控え、そろそろお参りするように呼ばれたんだと思いました。
それを夫に話したら、「違うよいつも東京で慌ただしくしているから、たまには田舎でゆっくりして
美味しいものでも食べていきな。」ってことだよというのです。
確かにそうかもしれません。
その方がお義母さんの人となりをよく理解していると思います。
お義母さんはそういう人でした。
きっと生きていたら弱っている私に同じような言葉がけをしてくれたと思います。
同じ事実に対しても、その人のこれまでの経験によって捉え方が違うんですね。
夫と義母が紡いできた日々は私と義母とのそれとは違う。
経験が違えば捉え方も違うということですね。
もう一つ思い出したことがあります。
それは、人は何かに突き動かされて行動することがあるということ。
人は脳が「こうしよう」と思ってからその後に行動すると考えている人が多いと思いますが実はその逆なんです。
養老孟司さんが著書の中で「『喉が渇いた』と思ってから『じゃあ、水を飲もう』と行動すると考えられているけれど、脳を測ってみると、まず水を飲む方にはっきりと動き出してそのコンマ何秒後かに『水を飲もう』という意識が起こる。
つまり、意識は脳がその方向に向かって動いた後から遅れて出てくる。
だから科学的に言っても人は自分の意図で何かをしているかというと、必ずしもそうではないんだ。」
とおっしゃってました。
何かに突き動かされることってあるんだと思います。
自分の意思だと思っていたことが実は何かに動かされている。
意思というものはあるようで実はない。
なんだか少しスピリチャルな話になってしまいましたが、今日はこうして自然に触れることでリフレッシュすることができました。
苦しみの中にも必ず何かの意味があるはず。
このように、どんな時でも天の義父母にいつも見守られていることに感謝する良い機会となりました。
そして、いつも愛情をたくさん与えてくれる家族に、友人に感謝します。
頭の中が堂々巡りを始めたら一度思考をストップする。
頭の中を空っぽにして「無」の状態になるには自然の中が一番良いですね。
すると新しい風が吹いてきて、その風が行き先を教えてくれるのです。
元気になりました。
また、新しい一週間が始まります。
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
By Shion